ベルデセルバ戦記でブログ

プレイステーションソフト「ベルデセルバ戦記~翼の勲章~」 にこだわるブログです。(略称【ベル戦ブログ】)

オルダナスピ動乱記



『オルダナスピ動乱記』*1




 作:帽子屋hat*2


 とりあえず、本文は長くて、重くて、堅苦しいので、先に梗概をつけておきます。


                  梗概


 宇宙に進出した人類の中心勢力、『同盟』。
 そこに辺境惑星からのメッセージを載せた人工衛星が飛来した。
 発信元は惑星ベルデセルバ
 そのなかには、明瞭な宇宙共通語で同惑星の歴史が仔細に書き記されていた。
 同盟首脳部は、これが事実であるかどうかを確認するため、有識者たちに惑星ベルデセルバに関するレポートの作成を依頼する。
 こうして、学者たちによる惑星ベルデセルバの研究が開始された。
 パスク人の移住から始まるベルデセルバの歴史は、パックス・ノイパスカーナの時代を経て、カ・ダナスピによるセルバ人開放、三国鼎立の時代へと移っていく。
 そして、ベルデセルバ史の最終局面。オルダナスピ動乱にいたり、学者たちはそれぞれの筆で詳細な顛末記を書き記した。その結果を受け、同盟首脳部は惑星ベルデセルバに対し、正式な返礼を行うことを議決する。


 以上のような事柄が本文中に書かれています。たぶん……。
 (たぶんって、なんだ。たぶんって!)





          ベルデセルバ戦記 〜オルダナスピ動乱記〜



                一・動乱前史


 #1   0〜一世紀


 惑星ベルデセルバは、銀河辺境に位置する植民地星であった。
 現在の主たる優勢民族、セルバ人の祖先は銀河開拓史の初頭、数多く実行された恒星間宇宙移民計画のひとつではないかと推測されている。
 この計画で打ち出された恒星間有人宇宙船の総数は約五〇〇〇。
 そのうち、いまなお惑星同盟に批准しているものは四〇〇足らずであった。
 移民者の多くは、自らの惑星で自給自足が可能であると判断していき、次々と同盟からの独立を宣言していく。
 その背景にあったのは、同盟の苛烈を極める搾取であり、そのスピードは同盟自体の統治能力の低下とともに、ますます加速度を増していった。
 主体となる汎銀河組織、『同盟』を離れた人類は、自分たちの星で独自の文化を形成する。その間に失われた先端技術の多くは、各惑星の移民者をそれぞれの星の重力の下に閉じ込める結果となった。
 このようにして宇宙に進出した人類は、あまねく銀河に根を下ろし、互いの存在を知ることもなく独自の社会を形成していく。
 やがて、ベルデセルバの名がふたたび同盟の前に現れた。
 それ以前、惑星ベルデセルバが銀河系星史に顔を見せた最初で最後の事例は、いまより五世紀前、惑星パスクの住民が母星の環境悪化にともない、同惑星を脱出。その後、ベルデセルバに降下し、ここを新たな植民地とする旨の報告を同盟の移民管理局に届けたことであった。
 この報告書には、先住民族セルバ人に関する文書がすべて欠如しており、故意に虚偽の報告がなされたものと思われる。しかし、当時の同盟は各惑星間の紛争が激化しており、星系地図の片隅に存在する一惑星の動向など、些細な問題として処理された。
 それから五〇〇年後に訪れた連絡は、ベルデセルバに割拠する五つの国家間の共同プロジェクト、惑星探査衛星『カ・ダナスピ』に搭載されたメッセージによるものであった。
 そのなかには、ベルデセルバの地理、民族、国家、ならびに詳細な歴史が膨大な資料とともに収められていた。
 同盟は突如、舞い込んできた辺境惑星からの報告に、どう対処するべきか迷った。
 そして、この報告の真偽を確かめるために多くの学者を動員し、惑星ベルデセルバに関する詳細なレポートを作らせた。
 未知なるものへの探求。
 ましてや、それがミッシングリンクの解明である。
 空白の五〇〇年を解き明かす作業は、同盟の学者たちの間に時ならぬブームを巻き起こした。
 これにより、ベルデセルバの歴史は約五〇〇年前、惑星パスクより多くの移住者が飛来したことによって、大きく変動をはじめたことが確認された。
 彼らパスク人は、先住民族セルバ人との無用な衝突を避けるために自分たちの科学力を利用し、ベルデセルバの大地を大空へと浮上させた。この空中都市群を彼らは自国の領土とし、『パスクならざる者(ノイパスク)』と名づけ、地上で暮らすセルバ人たちには不干渉の立場をとることにした。当時、セルバ人たちは北と南のふたつに分かれ、長年に及ぶ戦いを繰り広げていたからである。
 だが、その配慮も空しく、長引く戦乱と拡大する一方の戦火に、ノイパスクはついに戦争への介入をはじめる。それは、永きに渡る動乱で自分たちの母星をついには人の住める場所ではなくしてしまった過去への悔悟であった。
 結果、ノイパスクの調停によるベルデセルバの平和が実現した。
 だが、圧倒的科学力を背景にした武力による圧政は、パスク人をもはや単なる調停者の立場には留まらせなかった。
 各地で反ノイパスク運動が発生した。
 しかも、それは皮肉にもパスク人の干渉によって、初めてひとつにまとまったセルバ人の民族闘争である。
 ノイパスクは、彼らの支配者とならざる得なかった。それ意外に、平和を維持する術をパスク人は持てなかった。
 民族の融和を図るには、この時代、セルバ人はパスク人に比べて、あまりにも幼すぎたのである。
 これを境に、しばらくはノイパスクによるベルデセルバ支配の時代がつづいていく。
 そして、混迷する時代を強大な武力で統制したという史実は、後世のある人物に決定的な影響を与えた。だが、それはまだのちの時代の話である。


 #2   一世紀〜三世紀末


 セルバ人にとって、天高く鎮座するノイパスクの空中都市は、いつか放逐すべき目標だった。その思いは、蛮勇となって人々を駆り立てる。
 この時代、交易には飛行帆船が使われていた。
 ベルデセルバには、アレイと呼ばれる樹木が原生している。この樹は幹に大量の浮遊気体を内包し、ある程度の熱を加えると、その自重が限りなく小さくなるという特性を持っていた。
 人々はアレイの樹を建材として、空に浮かぶ船を組み立てた。
 無論、それだけでは大空を自由に行き交う船は造れない。
 必要な技術は最初、パスク人が開発した。
 アレイの樹と、ノイパスクの民が祖先より伝えられた精電気などの技術を応用し、空飛ぶ船、『飛行船』を完成させたのだ。
 セルバ人はそれを見よう見まねで作り上げ、いつしか人々の生活には欠かせないのり物として定着させてしまった。
 セルバ人の科学技術と文明化は、目を見張る速度で進歩していった。
 強制とはいえ、永きに渡る内乱を終結し、民族がひとつの旗の下に集結したのである。
 ましてや、のり越えるべき目標があった。
 技術も文化も自分たちが持っていないものは、すべてパスク人から片っ端から盗んでいった。セルバ人にとって屈辱の記憶でしかないノイパスクの支配は、その印象とは裏腹に実に濃密な、それでいて活気にあふれる時代だったのだ。
 反対に、パスク人の科学技術の衰退は目を覆うばかりである。
 最初の移民より数世代を経過して、すでに星間航行の技術は失われていた。
 人々は空中都市という天然の要害(相手にとっては)から地上を見下ろし、怠惰な日々を過ごすばかりである。もちろん、こうなったいきさつには、人為的な要素もあった。
 移民の初期世代、パスク人は自分たちが有していた技術を自ら廃棄、あるいは封印していった。それは、一日も早くパスク人がこの惑星ベルデセルバの本当の民となって、セルバ人とともに生きていくためである。
 いきすぎた技術は、決して自分たちの利益にはならず、反対に人と人が離れて暮らさなければならない原因となってしまう。ノイパスクの建国者たちはそのように考え、多くの書物や科学機械を自分たちがのってきた宇宙船とともに大空へ打ち上げた。
 だが、彼らの崇高な意思を、彼らの子孫が持ちつづけることはできなかった。
 そうするには、あまりにも彼ら自身が退廃していた。
 時が流れすぎたのだ。
 人が成熟するには驚くほど多くの時間を必要とし、反対に人が堕落するにはあきれるほど短い時間で十分だった。
 やがて運命の時が訪れる。
 カ・ダナスピによるセルバ人開放。
 オルダナスピ建国である。
 ノイパスク優位による支配体制は終焉を迎えようとしていた。


 #3   四世紀〜現代


 技術は人が必要としたところで発生し、争いによって進化する。
 飛行船の発達は、同時にセルバ人の対ノイパスク闘争の歴史であった。
 だが、それ以前にもごく小規模ではあるが、重要な戦いが繰り広げられていた。
 商人と空賊の争いである。
 空賊とは、何隻かの飛行艇を自らの寝床とし、輸送中の船団を襲っては、またどこかへ去っていくというならず者たちの総称である。
 彼らがベルデセルバの歴史にはじめて姿を現したのは驚くほど古く、その起源は初期の反ノイパスク運動にまでさかのぼる。
 パスク人による統治が進められるなか、一部の強硬なセルバ人たちは徹底抗戦を叫び、強大なノイパスク軍に戦いを挑んだ。
 彼らはアレイの樹をひもで結び、小さな帆を張って空に浮かび上がった。
 めざすは天空の城、ノイパスク。
 同時にこれが史上初の飛行船であり、大空の歴史はこれをもって嚆矢とするのが、史家の定説であった。
 ある日、パスク人は自分たちが目にした光景に驚いた。
 空に浮かぶいくつもの筏。風まかせとも思える未熟な帆。
 その上にのり、武器を手にしたセルバ人たちの姿。
 結果からいえば、この試みは暴挙であるとしかいえない。
 多くのセルバ人は戦うどころではなく、自分たちがのった筏を転覆させないように注意するのが精一杯だった。
 あまつさえ、憎んでも憎みきれないパスク人に救助されてしまったのだ。
 彼らは死を覚悟した。
 だが、ノイパスクの人々は彼らの勇気を賞賛した。
 自分たちにも、新天地を求めて宇宙をさすらった記憶がある。
 恐れることなく大空へと駆け上がってきたセルバ人たちを、パスク人はまるで同胞であるかのように迎え入れた。
 そして、彼らがのってきた筏を、より安全に、快適に操舵できる船へと改造して、彼らをふたたび大陸へ送り出した。人々がまだ高潔な精神にあふれていた頃の物語である。
 こうして、新たなる力を手にしたセルバ人たちは無事、地上へと帰還を果たした。
 しかし、彼らを待ち受けていたのは、真の同胞たちによる罵倒の言葉であった。
 地上に残ってパスク人の統治を受けつづけた人々は、彼らセルバ人のために蜂起した人々を裏切り者と糾弾した。自分たちだけが支配者のもとへいき、特別な知識を享受したのだとののしった。
 もはや地上に彼らの住む場所はなかった。
 すべての資材を船にのせ、彼らは大空へと飛び去った。
 土地を持たない彼らは、空賊として生きる道をこのとき選んだのだ。
 以後、空賊たちはパスク人の科学と技術を、戦いを通してセルバ人に伝えていくという役割を担った。
 ノイパスクは彼ら空賊たちをセルバ人への窓口として利用し、その存在を許容した。
 しばらくは、パスク人―空賊―セルバ人という形での文化の浸透がつづけられた。
 だが、それも時代が下がるにつれ、しだいに変容していく。
 セルバ人の技術が向上し、相対的にパスク人の科学が衰退すると、これまでは賄賂や強要によってノイパスクから知識を掠め取っていた空賊たちも、もはや両者の区別をつけるようなことはしなくなった。
 どちらの船であろうと、掠奪の対象としたのだ。
 歴史のターニングポイントが近づきつつあった。
 このとき、ひとりの英雄がセルバ人社会に現れる。
 カ・ダナスピ。ベルデセルバ解放戦争の勝利者であり、いまなおつづくセルバ人国家、オルダナスピ王国の始祖となった人物である。
 この男が空賊の力に目を止めた。
 数年前から活性化し、現在では激化の一途をたどるベルデセルバ解放戦線は、時の有力者、カ・ダナスピを総司令官として、ノイパスクとの間に戦火を交えていた。
 すでにセルバ人指導者として確固たる地位を占めていたカ・ダナスピは、空賊たちにベルデセルバ解放戦線への協力を要請した。
 そのためにこの男は空賊の首領とじかに会談し、その席で全セルバ人の代表として発言した。
 内容は過去、空賊たちの祖先を不当に陥れ、結果的にセルバ人社会から追放してしまったことへの謝罪であった。ただ、それだけのことで空賊たちはセルバ人への全面協力を決意した。
 カ・ダナスピは言葉だけで味方を増やしてしまったのだ。
 この人物に対する史家の評価は一様に高く、この時代の惑星ベルデセルバにおいて、傑出した人物であると書き記している。
 戦況はしだいにセルバ人有利となった。
 何よりもセルバ人側には民族の自立という、強力な戦意高揚材料があり、兵の士気はいやがおうにも盛り上がった。指揮するのは、生きながらに英雄と称えられ、カリスマという言葉の生きた体現者であるカ・ダナスピ。戦力は、永きに及ぶ空中生活により、大空を鷹のように舞い、鷲よりも荒々しく戦う空賊たちである。
 セルバ人は、技術的にはいまだ有利を誇っていたノイパスクを相手に、戦争当初、互角の戦いを繰り広げていた。パスク人は持てる科学力を駆使して、セルバ人を押さえ込もうとする。彼らにとって、セルバ人とは、自分たちの庇護の下に暮らすべき存在でしかなかった。
 彼らの祖先が考えた高度な政治的判断を、その子孫たちは誤った認識として受け継いでしまっていた。
 だが、彼らの優位も長くは続かない。
 パスク軍が戦場に投入した技術は、瞬く間にセルバ軍によって踏襲された。
 長い年月の経過によって、セルバ人はノイパスクの技術を模倣する速度を極限まで高めていた。さらにセルバ軍は、その技術をより現状に見合ったものへと改良した。進達の気鋭にかけるパスク軍には、現在の技術を革新、応用することがすでにできなくなっていた。
 ついに科学と技術において、セルバ人がパスク人に並びかけるときがきた。
 新型のセルバ軍飛行艇は、速度、火力、運動性、いずれにおいてもパスク軍の主力艇と何ら遜色がなかった。もっとも、パスク軍の飛行艇はここ数年来、スペックの更新を一切、果たしていなかったのだが……。
 こうなると戦況は、兵に優れ、指揮官に恵まれ、戦意に勝るセルバ軍の圧倒的優位となった。
 ついにノイパスクは、地上にセルバ人統治による国家の建設を認めた。
 最初に独立した国は、カ・ダナスピの生地である大陸中央部の山岳地帯。
 国名はオルダナスピ。
 初代の国王に据えられたのは、民族の誇り、英雄カ・ダナスピであった。
 以後、めまぐるしい勢いで多くの国が乱立していく。
 ノイパスクは地上への干渉能力を大幅に失い、空に浮かぶ群島国家としてベルデセルバの一辺境勢力に没落した。
 国が栄えれば、また滅びるものがある。
 時が過ぎ、群雄割拠の状態は、しだいにふたつの大きな勢力へと収斂した。
 北のムノギイ連邦、並びに南のグラシアル・ギダン王国である。
 両雄の歴史は古く、もともとノイパスクが干渉をはじめた南北戦争も、翻ってみれば、この二国の祖先の争いであった。
 歴史は繰り返すということか。
 ひとつの戦いが終われば、また別の争いを人々ははじめる。
 民族の解放のため、互いの手を取り合った人間たちは、次に利権を争ってもう一度、銃を手にした。
 こうした現実に失望したのか、建国当初の領土をほとんど失い、山岳地帯のわずかな国土を残すのみとなったオルダナスピ王国国王ダナスピ一世は、ひっそりと永世中立国宣言を発した。
 その卑小さゆえに大国の領土的野心から逃れることのできた、オルダナスピ王のささやかな意思表示であったのかもしれない。
 史家のなかには、彼は長く生きすぎたと評するものがいる。
 ひどい話である。
 一個人の力で大局が左右される時代では、すでになくなっていた。
 英雄が国を建て、詩人たちがそれを詠う季節は終わった。
 大国の時代が訪れたのである。



               二・オルダナスピ動乱記


 #1   状況


 オルダナスピ動乱は、ベルデセルバ史の最終局面を飾る重要な戦いであり、一般には、『勝者なき戦い』と認識されている。この戦いの結果、パスク人国家ノイパスク共和国は、セルバ人の監督下に置かれ、世界が民族融和の時代を迎える契機となった。
 当時のベルデセルバには、三つの大国とふたつの小国が存在していた。
 三つの大国とは、まず北からムノギイ連邦。
 大統領制を敷き、戦時国家の常として、歴代の国家元首は押しなべて軍高官の経験者である。オルダナスピ動乱時の政権担当者はオタワ大統領。軍首脳はデ・サロ将軍。当時、ノイパスク共和国とは軍事同盟を締結しており、共同でグラシアル・ギダン王国に対抗していた。
 次に南のグラシアル・ギダン王国(以後、ギダン王国)。
 立憲君主制ではあるが、王の権勢は強く、議会の制御は事実上不可。実際にはかなりの度合いで、王権強化が進んでいたものと思われる。その原因となったのは、王家による軍部の掌握。典型的軍国主義国家。オルダナスピ動乱時の君主は、バーク・ギダン王。軍の指揮を執っていたのは、王太子のシデル・ギダン提督。ギダン王、失脚以後は、国政をひとりで牛耳った。
 最後に、ふたつの大国の間を走る大山脈の上空に、要塞であり、国土でもある浮遊島を集結させたノイパスク共和国。
 外惑星からの移住者で、ベルデセルバの旧支配者であったパスク人たちの末裔。いまでも現在では解明不可能な科学技術を基に、ベルデセルバ制圧を夢想する軍事国家。政体は共和政を施行しているが、軍部の力が強く、議会はその暴走を押さえきれていない。現実にナデス島方面軍の凶行によって、オルダナスピ動乱を引き起こした。その結果、国家解体の危機を招く。事件当時のナデス島方面軍最高司令官はオデナウデ長官。事実上の指揮権を行使していたのが、ゼクセル空軍大佐である。
 そして、今回のオルダナスピ動乱の被害者ともいえるのが、次に挙げるふたつの小国家の臣民である。
 まずは直接の被害者となった、オルダナスピ王国。
 セルバ人の英雄、カ・ダナスピが打ち建てた最古のセルバ人国家。大陸のほぼ中心に位置し、政治は君主制。国民の多くは独自の教義を守って静かに暮らしている。現在の国王は始祖カ・ダナスピの血を引くダナスピ四世。国家の方針として永世中立宣言を声明しており、軍事は非武装。小国ではあるが、いまだにセルバ人社会における影響力は強い。それが原因で今回もノイパスク軍の侵攻を受けた。
 最後にクナ共和国。
 大国の緩衝地帯ともいえる大陸中央部に位置し、諸外国すべてと国境線を有していた。
国の歴史は陰惨を極め、その過程を短くいい表すとすれば、服従と隷属の繰り返しである。
オルダナスピ動乱時はムノギイ連邦の庇護下にあったが、それまでの史実にたがわず、今回もギダン王国の侵入を受けた。その後、ムノギイ連邦の再占領などを経て、ふたたび元の立場に戻るが、どちらにしても度重なる戦禍によって、国民の生活は極限まで疲弊している。
 以上がベルデセルバ史上、高名なオルダナスピ動乱時の国際情勢である。


 #2   世界


 結果だけを見れば、ノイパスク軍ナデス島方面最高司令官オデナウデ長官、並びにゼクセル空軍大佐、両名によるオルダナスピ王国占領という軍事行為は、自国の無条件降伏を招く事態となった。勝ったギダン王国も、シデル提督のクーデター計画によって、軍部の暴走を引き起こし、内乱の収拾にムノギイ連邦の介入を許さなければならないほどであった。
 では、これは愚か者たちが演じた無意味な騒動であったのか?
 一概にそうとはいえない。
 ノイパスク共和国の降伏により、パスク人はセルバ人の保護を受け、必然的に両民族の融和が促進されることになった。また、シデル提督により、ムノギイ連邦へ一時的な亡命を余儀なくされたギダン王は、復位後、同連邦への歩み寄りを行う。結果的に両国は長年の対立をひそめ、協同姿勢をとることになる。
 これは、クーデター成功後、ノイパスク軍より奪取した浮遊島を要塞化し、その力を背景に世界制圧をもくろんだシデル提督の主張するところと、何ら変わりない効果をもたらしたのではないだろうか?
 彼が何を求め、何を行ったのか?
 それを追いかけてみることで、このオルダナスピ動乱という、奇妙な戦争を説くことができるのではないか。
 史家たちの目は、ここでシデルという特異な存在に注目する。
 彼について書かれた代表的な文章は、以下に挙げるようなものだった。

『シデルという人物を簡潔に述べれば、独善的な理想主義者で、急進的な平等主義者であった、となるだろう。シデルが目指したのは、彼の下での惑星ベルデセルバの平和の実現である。そのために彼は、パスク人やセルバ人といった民族の枷や、国家の枠組をはずすことを考えた。その方法が、圧倒的武力を背景にした地上の制圧である。いうまでもなく、彼が模倣したのは、旧パスク人のやり方だった。そういった意味では、彼は優秀なセルバ人であったといえよう。また、彼が結局は敗れ去った理由もここにある。四〇〇年前、惑星ベルデセルバに降り立ったパスク人は、力によってふたつに分かれていた民族をひとつに統合した。だが、神の真似事を試みたパスク人も、時が過ぎて地に堕ちた。そして、今度は自分たちがふたつに分かれた勢力の一方となって戦いだした。シデルはもう一度、ふたつに分かれたベルデセルバの民をひとつにまとめようとしたのだ。同時にシデルはいつまでたっても争いをつづける人類を見下した。しかし、彼のこの視点はあくまでもミクロであり、マクロ的な観点で捉えてみれば、彼もまた愚かな人類の一員であったといえよう。
シデルもまた、同じことを繰り返していたのだから……』

 多くの史家が彼のために文章をいくつも重ねるのは、彼が特異な人物であったからである。のちの世から見れば、その時代の寵児でさえも、結局はひとりの人間に降ろされてしまうのだ。


 #3   発端


 発端は、ノイパスク共和国の恒常的領空侵犯であった。
 ノイパスク共和国の軍事要塞であり、国土でもある浮遊島。
 そのひとつ、ナデス島は位置的に対ギダン王国戦線の重要な戦略拠点となっていた。
 だが、長引く戦乱によって島の制御機能は重度の障害を受け、ナデス島は気流に流されるまま、ギダン王国の領空内へ侵入した。
 ギダン王国は、ノイパスク共和国のこの行為を侵攻作戦であると判断し、ナデス島へ要撃部隊を派兵する。
 同島最高司令官、オデナウデ長官は本国からの指令により、これを撃退した。
 だが、ギダン軍飛行艇部隊の執拗な攻撃によって、戦況はしだいにノイパスク軍、不利へと変わっていく。たびかさなる爆撃により、島の機能は半壊。人的被害も無視できぬほど大きくなっていった。
 この段階にいたり、ノイパスク共和国はナデス島の放棄を決定。
 民間人をともなった大規模な脱出計画が立案される。
 脱出の途中経路に選ばれたのは、同盟国ムノギイ連邦の保護下にあった、クナ共和国領内の軍事施設ミデーレキサタ基地。
 ムノギイ連邦は、ノイパスク共和国からの要請に従い、ナデス島方面軍の受け入れを承諾。しかし、この脱出計画は、すぐにもギダン軍首脳部の知るところとなり、総司令官シデル提督は、ただちに追撃命令を発した。だが、一足早くノイパスク軍、並びに民間船はミデーレキサタ基地への進入に成功。その後、シデル提督は大規模な攻撃部隊を編成して、同基地への攻撃を開始した。
 ここで多くの学者が一度、筆を置き、長い思案に暮れることとなる。
 その原因は、オルダナスピ動乱の初動期、ノイパスク軍の『ナデス島脱出計画』に対する、ギダン王国側の軍事行動のちぐはぐさであった。
 まず、ナデス島の領空侵犯に対する迎撃体制。
 これについては、当然の行為とあると多くの史家が認めている。
 相手側のとった行動が故意であろうとなかろうと、それは関係ない。
 自分の懐に飛び込んできた敵戦力は、絶対に無力化しておかなければならないのだ。
 喉元にナイフを突きつけられた状態は、あまり好ましくないからである。
 問題は、ミデーレキサタへの攻撃命令だった。
 いうまでもなくミデーレキサタはクナ共和国内に位置する、ムノギイ連邦の軍事施設である。宣戦の布告もなく、他国の領土内で戦端を開いた場合、たとえ最終的に戦闘に勝利したとしても、その戦争責任は仕掛けた側にあるとされる。
 無論、シデルもその辺りは、十分に考慮したのであろう。国境線付近で敵戦力と遭遇した追撃部隊も、相手がクナ共和国領内に入った段階で追撃を断念。帰投している。
 だが、シデルは何ゆえ、そのあとミデーレキサタ基地への攻撃を開始したのであろうか。
 ナデス島は、すでに自軍の手に落ちている。
 領内における敵の脅威といった問題は解決されていたのだ。
 どういった理由で、国外に逃げ出した敵兵力に、高いリスクを背負ってまで追い討ちをかける必要性が生まれたのであろうか?
 戦略的勝利を達成しておきながら、なおも戦術的勝利に固執する理由。
 この問題を解決する糸口となったのは、やはりシデルという稀有な人物の存在であった。
 これより語られる説は、確実な物証を得てはいない。あくまでも一歴史家の妄想の産物であるとするのが、正しい評価である。
 だが、この男は勇気を持って自説を展開している。
 思いこみは人をときに強くし、同時に羞恥心を奪い取ってしまうものなのであろう。

『シデルは、猟師が狐をいぶり出すように、ノイパスク軍をミデーレキサタから追い立てた。彼にはノイパスク軍が、どのように動くか分かっていたのだ。その根拠となったのは、
彼の優れた洞察力である。もちろん、その判断材料も、おおよその推測はできる。ミデーレキサタを飛び立ち、ノイパスク共和国にいたるルートは、永世中立国オルダナスピ王国を迂回するとすれば、北と南の二通りしかない。南回りではギダン王国の領土を通過しなければならず、これでは何のためにナデス島から逃げ出したのか分からない。だとすれば、北回りにクナ共和国の領内を通ることとなるが、このとき同国の最南端スラーク基地は、ギダン軍の勢力下にあった。とすれば、このルートも事実上は航行不可ということになる。
この段階で、ノイパスク軍のとるべき行動はひとつしかなかった。オルダナスピ王国を通って帰国することである。無論、永世中立国であるオルダナスピ王国が、そのようなことを許可するはずもない。実行には武力がともなった。オルダナスピ動乱は、一見するとノイパスク軍の突発的軍事行動のように見られるが、事実はまったく逆である。すべてはシデルによって周到に演出された出来事なのだ。ここで、セルバ人の彼が、自分の同胞が蹂躙されていくのを寛容できるのか? といった議論は意味をなさない。シデルという男は、いってみれば空想的平等主義者である。彼はパスク人、セルバ人というような民族的区別を持たなかった。だからこそ、一般的セルバ人が抱く、パスク人への民族的怨恨からも自由でいられたのだ。彼が唾棄していたのは、ナデス島最高司令官オデナウデに代表されるような、自国民の優等生を信じて疑わない輩であった。その点において、セルバ人の心の聖地などともてはやされ、過去の人物の係累をたてまつるオルダナスピ王国などは、シデルにとって前述の者たちと同列であった……』


 #4   喧騒


 オルダナスピ王国は、突然のノイパスク軍の侵攻によって占領された。
 このときの軍部の責任者は、前ナデス島方面軍最高司令官オデナウデ長官。副官を務めたのが、ゼクセル空軍大佐であった。
 率直にいって、オルダナスピ侵攻作戦が後世の人間から見て、いかに愚かな振る舞いであったかは、この軍事行動によって引き起こされたその後の展開に現れている。
 ムノギイ連邦は、ノイパスク軍の行為に対して遺憾の意を表明し、同国との軍事同盟を破棄。ノイパスク共和国は国際的孤立に陥る。そしてオルダナスピ王国は、ギダン軍によって短期間のうちに開放。勢いづいたギダン軍はノイパスク領内へ侵攻。次々に浮遊島を攻略し、ついにノイパスク共和国はギダン王国に対して無条件降伏を申し入れた。
 以上を見ても、この作戦が致命的失策だったことは、だれの目にも明らかである。
 彼らは何を根拠として、この作戦を実行したのであろうか。
 ここで重要となるのは、両者のひととなりであった。
 彼らはオルダナスピ王国を占領後、国王ダナスピ四世の身柄を拘束している。
 この行動の真意についてはオデナウデ、ゼクセルの両名が、ダナスピ四世をセルバ人に対する人質として利用するつもりではなかったかと推測されている。
 セルバ人の心の聖地と呼ばれたオルダナスピ王国。その頂点にあって、至尊の冠をいただくダナスピ四世。
 この人物を手中に収めている限り、セルバ人はノイパスク軍に対して、銃を向けることはできない……と。
 事実、彼らの発言のなかには、そういった類のものが記録されている。だがこれは明らかな誤謬であった。
 彼らはセルバ人というものを一括りで判断してしまっているが、実際はそうではない。
 この時代、セルバ人はふたつに分かれていたのだ。ギダン王国とムノギイ連邦である。
その間に位置するのがノイパスク共和国であった。
 大陸は三つに分割されていた。
 この場合、まず念頭においておかなければならないことは、相手がどういった政治的判断を下すのか、ということである。外交の基本は、あくまでも自国の権益の獲得とその維持にある。まちがっても、『セルバ人ならば』といったような民族主義的発想が入る余地はない(利用ならばするであろう)。ましてや、そのときの相手は、空想的平等主義者とまで評されたシデルである。この男が、何の力もない、ただ英雄の子孫であるというだけで特権的地位を手にした一人物のために、多くの人間が不当な扱いを受けている現状など、どうして見過ごすことができようか。
 同時に、この男は絶対的多数の前には少数の犠牲はいとわない、冷徹な現実主義者であった。それを裏づけるように、オルダナスピ王国はギダン軍によって厳重な包囲を受け、短期間のうちに同国内のノイパスク軍は駆逐されている。
 このようなことは、戦う相手がどういった人物であるかを知っていれば、十分に予測できたことである。
 ゼクセルにおいては、まだ軍人であるがゆえに若干の猶予が感じられるが、彼の立案を何の疑いもなく実行したオデナウデ。さらに、あまりにも無謀な本作戦を承認し、軍部のいきすぎを押さえられなかった、ノイパスク共和国の政治家たちの責任は限りなく重い。
 彼らの目をくらませたのは、もはや民族的資質ともよんでいい、他民族に対する過度の優越感である。彼らは、最も高度な政治的判断の要求される場面で、最も幼稚な判断を下してしまったのだ。史家はそのような人たちに向かい、

『無能者の集まり』と、手厳しく批評している。

 ついで作戦の立案、実行、のちに軍事的敗北を喫してしまったゼクセルについて、

『軍人としては一流。指揮官としては二流。政治家としては三流以下の人物』と、書き記している。

 軍事的失敗については、職務上の責任であるからいたしかたないとしても、政治に対する責任までとやかくいわれるのは、本人も納得がいかないだろう。本来、民主政治における政治的責任は政治家自身、並びに国民が負うものであるのだから。
 この際は、前線基地を放棄してしまった人物を更迭もせず、さらには指揮権をそのままにしておいた議会の責任を問うべきである。だが、ゼクセルについてはいかに酷評されたとはいえ、その実績に対しての評価であるのだから、まだ幸せであるといえた。彼の上官にあたるオデナウデなどは、

国粋主義というよりは、すでに人種差別主義者であった』

 などと、評価以前に人格を批判されている始末である。
 この差はやはり、オデナウデがあくまで長官として、司令部でのほほんとしていたのに比べ、ゼクセルが死の直前まで最前線に立ちつづけたことに対する好意の表れではないかと思われる。
 事実、ノイパスク人のなかには、彼を国家の英雄として崇拝するものがあとを絶たない。
 やはり殉死者というのは、いつの時代でも崇め奉られる運命にあるようだ。
 しかし、これは結局、ゼクセルがその真価を最大限に発揮しえたのは戦場である、ということの悲しい証明なのかもしれない。やはり彼は戦場の勇者であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。ハッキリいえば、国家を動かすには器が小さすぎたのだ。
 だが、こうした、たかだか一方面軍の副官に過ぎない人物が、国家の明暗を司らなければならないほど、この時代のノイパスク共和国は人的資源を枯渇していたのである。
 交響曲は天才にしか創ることができない、とよくいわれる。
 だとすれば、戦争という芸術も最後まで奏でることができるのは、偉大な指揮者によって動かされた国ということになる。
 オルダナスピ動乱の前期、ノイパスク軍主導による混乱は、ギダン王国によるオルダナスピ王国開放をもって収拾された。
 狂騒曲は終わった。
 次は、天才による華麗な演奏が始まろうとしていたのだ。
 ギダン王国軍総司令官シデル提督による、ノイパスク共和国攻略戦である。


 #5   英雄


 当時のギダン王国君主、バーク・ギダン王に対する史家の評価は厳しい。
 やはり結果論で物事を計る人間には、彼の後手を踏むやり方がもどかしく思えたのだろう。
 最初は主戦派として世論を焚きつけておきながら、いざシデル提督がノイパスク共和国領内へ進軍を開始すると、一変して一部和平派の主張を受け入れ、それまでの態度と裏腹に講和を図ろうとした。結果、それが元でシデル提督のクーデターを招き、自身が敵国ムノギイ連邦へ亡命するていたらく。
 これなどは、軍部の掌握を人任せにせず、自らの手で行っていれば、未然に防ぐか、失敗に終わらせられることであった。君主制において、絶対的権力の維持とは、大権の発動権を手中にしておくことであるのだから。
 とにかく、この人物については、転向の激しさが一番の問題だった。
 徹頭徹尾、終始一貫するということができないのだ。
 その原因は、あまりにも感化されやすい性格にあると思われる。
 臣下の意見をよく取り入れ、だれにも気兼ねさせない大らかな態度で国民の人気は高かったようだ。しかし、歴史において、一国の君主を評価する基準は国民の好悪感ではない。
あくまで、その人物が在位中に成し遂げた業績を元に判断されるべきであった。そういった観点からこの人物を見てみると、長年に及ぶ戦乱に決着をつけるべく、抗戦であれ、和平であれ、積極的に行動したことは、それなりに評価できる。
 しかし、軍部が敵国へ攻め入り、勝利を積み重ねていた時期であるにもかかわらず、不用意に和平派の人物を重用し、講和のテーブルにつこうとした。その結果、シデル提督率いる軍部の反乱を誘い、戦勝国でありながら不本意な和平を強いられた。また、思いがけぬ内乱によって、有力な王位継承者であったシデル王子と、民衆の支持を一気に失い、王朝の基盤を危うくさせた。以上のことから、史家の彼に対する評価は一様に厳しく、その治世を短く表現するとなると、

『鷹揚な政策、遅すぎる後悔』と、なった。いい得て妙である。

 また、『このような人物が父親であったからこそ、シデルは蜂起せざる得なかった』と、するのは、先に挙げたシデルに対して比較的好意的な人物の意見である。
 それ以外の一般的な学者による総評は、

『機会を逃すことなく、一気に事を推し進めようとした。シデルは自分の野心を押さえることができなかった』と、している。

 やはり、その辺りが妥当か。
 ただし、この男が十分な勝算を持って、クーデターを敢行したことはまちがいない。
 ただ、計画発動のタイミングが非常にまずかった。
 和平交渉におもむくため、クナシティへ向かったギダン王の飛行船を、よりにもよって親衛隊機で撃墜している。しかも、国王本人の死亡を確認するにはいたらなかった。
 これにより、講和の機会をうかがっていたムノギイ連邦、並びに諸外国との関係がかなりこじれた。
 この性急なやり方は、彼に好意的な人物でさえ首をひねっている。なぜ、彼はこれほどまでに政権奪取を急いだのであろうか?
 その答えは、彼の行動に最もよく現れていた。
 ノイパスク共和国は、シデル軍(クーデター成功後は、完全にシデルの私兵となっていたので、こう表記する)に対し、無条件降伏を打診した。しかし、シデルはこの申し入れを拒否し、特使に向かってノイパスク共和国の解体を宣告している。さらに、ノイパスク軍より攻略したニ・デム、ミ・デム両島を改造し、機械化要塞とすると、シデルはここを拠点として、自分が提示する調停案を受け入れるよう、全世界に向かって勧告した。その内容は、国家による統治権を完全に放棄し、シデルの監督下において世界平和を実現するといったものである。このような意見を諸外国の指導者が素直に受け入れるはずもなく、ムノギイ連邦は国内に駐屯するシデル軍を撃退した。
 こうした抵抗をつづけるムノギイ連邦に対し、シデルの腹心、バムス中佐は独断でノイパスクの無人浮遊島、ホウノム島を同連邦の都市、フェルムに墜落させた。この作戦こそ、悪名高い『浮島(うきしま)落とし』である。この攻撃により、ただひとつシデル軍に対抗しつづけたムノギイ連邦も、難攻不落の機械化要塞と、ノイパスク軍より奪った、多くの浮遊島群を持つ、シデルの要求を受け入れざる得ないと思われた。
 ここまでは実にシデルの考えたとおりである。
 特に、オルダナスピ王国開放から、間髪入れずにノイパスク共和国内へ侵攻し、同国の浮遊島群を連続して陥落させた手腕は賞賛に値する。クーデターの発動も、手段と時期に多少の疑問を残すが、その後の迅速な対応は、彼の統率力の非凡さを証明している。
 やはり、この男は人並みはずれた天賦の才を有していたのだ。果敢な軍事行動と、常軌を逸したとも思える機械化島の建設はその片鱗であった。
 なぜ、多くの人間たちが、シデルひとりにこうまでやられてしまったのだろうか?
 現実主義者が陥りやすい罠として、自分と同じ目線で相手を見てしまうことが往々にしてよくある。自分にとっての常識を、相手が当然のように熟知しているものと、ついつい誤解してしまうのだ。
 シデルは、その思いこみを最大限に利用した。ときに大胆に、そして慎重に。
 だが、彼も結果的には敗北した。彼もまた、現実主義者の罠にはまってしまったのだ。
 シデルにはふたつ、大きなミスがあった。
 ひとつは、前述しているようにクーデター発動のタイミング。もうひとつが、ギダン王国領内アグダグでの暴動を許してしまったことである。特に後者は致命的であった。
 このアグダグ暴動に関して、史家はギダン国王派、つまり反シデル勢力の一斉蜂起であったとしている。だが、その裏には、ある武装集団の力が関与していた。空賊たちである。
 シデルは彼らの存在を見落としていた。というよりも、彼らの行動力が予想した以上に大規模であったのだ。
 己の利益のためには、民族も国家もかえりみず、ひたすら掠奪をつづける無法者。
 空賊とは、当時そのように考えられていた。
 しかし、後世から見れば彼らこそがシデル以外に唯一、惑星ベルデセルバをひとつの国家集合体と見なした人たちだった。

ベルデセルバ人』

 その言葉は、シデルのように時代を超越した構想力を持つ者か、もしくは、はるか昔に大地という足枷を自ら解き放ったものたちだけが思いつくことのできる概念であった。
 シデルの理想はここにある。
 セルバ人でもパスク人でもない、単一の民族として、みなが惑星ベルデセルバ上に共存すること。それこそがシデルの目指した社会のあり方だった。
 だが、空賊たちは彼の意見を否定した。
 いかに卓越した思想であっても、個人の理念に基づく社会の運営では、真の平和をベルデセルバにもたらすことはできないと判断したのだ。
 その根拠となったのは、自分たちの祖先こそが自ら進んで異民族の元へおもむき、それがために同胞から排斥されたという過去を持つからである。彼らはベルデセルバ史上、はじめて自分たちとは違う歴史を歩んだものたちとコミュニケーションを実現した。同時に、長い時間をともに過ごした仲間たちから誤解を受けたのだ。
 このとき、彼らにとって両民族はどちらもひとしく愚かな振る舞いを続ける人間となった。
 空賊たちは空の高みから蝸牛の争いを見守りつづけた。
 彼らこそ、この時代においてシデルの思想を最も正しく理解し、協力することのできた存在なのである。それでも、彼らは全力を持ってシデル打倒を試みた。力による勝利が、いずれ力によって覆されてしまうことを、過去の歴史から学び取っていたからだ。
 どれほど時を費やそうと、どれくらい多くの血が流れようと、人は少しづつお互いの距離を縮めていかなければならない。その先に相手の手が触れたなら、そのときこそ惑星ベルデセルバはひとつになれると、彼らは信じていたのだ。
 だが、シデルにとって、このような考え方は無謀であるとしか思えなかった。
 極論すれば、それは何もせず、ただ傍観しているのと同じことだった。
 そのような受動的思想は、危機管理のスペシャリストである彼には容認できなかった。
 シデルはやはり、創造の天才なのである。
 自らの手で世界を変えるやり方しか、彼には思いつかなかった。
 これこそが、後世の史家に急進的平和主義者と呼ばれる所以である。
 シデルが誇る、ふたつの機械化要塞、ミ・デム、ニ・デム両島は、ムノギイ連邦軍、空賊連合によって破壊された。これにより、シデルの野望は潰え、彼自身は燃え盛る炎にその身を任せた。戦後、ムノギイ連邦、ギダン王国、ノイパスク共和国は講和を締結する。
 世界にようやく平和が訪れた。
 これより惑星ベルデセルバは時代の混迷期を抜け、安定した社会の形成を各国が独自の路線で行っていくことになる。
 史家のなかには、シデルが頑迷な自己主張を繰り広げたりしなければ、ベルデセルバの平和はもっと早く訪れたとするものがいる。
 だが、その意見はシデルという人物を表面的に捉えているに過ぎない。
 彼には分かっていたのだ。
 講和によって実現された平和など、所詮は長くはつづかないということを。
 彼が求めたのは、完璧な平和であった。
 その過程で生じるであろう、多くの犠牲を彼は覚悟した。たとえ、のちの世の人々から独裁者と呼ばれようとも……。
 そうした、幼児的残虐性が空想的と評された原因なのである。
 彼を語った多くの学者たちのなか、最も辛辣で鳴らしたある人物は、

『彼は、未熟な天才であった』と、シデルを評価している。

 彼の才能と、敗因が短い文章によく現れていた。
 なお、的確な外交政策で調停国の名誉を手に入れた、口さがない連中にいわせると、勝利の果実をまんまとせしめたムノギイ連邦。この国の指導者たちへ向けられた史家たちの筆はそれほど多くない。政治の代表者であるオタワ大統領には、

『国民のためには民族的対立を捨て、あえてパスク人と手を結び、あとにはセルバ人国家の代表として行動した。ギダン王国クーデター後は、独裁者に立ち向かう民主政治の希望となって指揮をふるう。そのときどきの状況に応じ、臨機応変な政策を敢行した、優れた政治感覚の持ち主。この時代、最もバランスの取れた政治家』

 と、誉めているのか、けなしているのか、よく分からない評価を下している。一方、軍部の代表者であったデ・サロ将軍には、

『確実な手腕で、オタワ大統領の懐刀として尽力。ムノギイ連邦の勝利に貢献した』

 と、こちらも実にそっけない。やはり豪快な立ち回りを演じた人たちに比べ、小さなミスを犯しながらも器用に立ち回り、最終的な勝利(それもとりたてて大きなものではない)を手に入れた連中など、派手好みの歴史家たちの興味はそそられなかったようである。
 『勝者なき戦い』とは、のちの世の同盟の学者が勝手に命名したに過ぎない。
 民族的にはセルバ人は史上、はじめてパスク人の優位に立ち、彼らを自らと同列に扱う権利を得た。
 国家的にはギダン王国は王家の専制を押さえ、より民主的な政策を行う機会を獲得した。
 ムノギイ連邦は一貫した政治姿勢により、国家の名声を上昇させた。
 では、何を持って『勝者なき戦い』とするかといえば、それは国際的立場においてである。動乱によってノイパスク共和国は自国の統治権を失い、ギダン王国は有力な王位継承者を喪失した。これにより、ギダン王国では民主派が一時、主流になり、政策の混乱を招く。その結果、同国の国際的発言力は瞬間的に低下した。
 オルダナスピ王国はノイパスク軍の侵攻により、それまで保持していた神聖不可侵なイメージを汚された。クナ共和国にいたっては、ただただ蹂躙されただけである。最後に残ったムノギイ連邦にしても、戦争の調停者として、それなりの見返りは望めるが、あくまでも戦闘の勝利者はギダン王国である。いまは戦後処理をめぐって国内が動揺しているが、政情さえ整えば、すぐにでもムノギイ連邦を追い抜き、ふたたびセルバ人社会のリーダーとなることは必至であった。ならば、ムノギイ連邦は一時的優位に立っただけであり、最終的には何も変わらないのと同じである。
 労多くして、実り叶わず。
 この戦争には、どんな意味があったのだろうか?
 史家のひとりはこう語る。

『この戦争には、最終的な勝利者など存在しなかった。ただ、ひとりの夢想家の夢が実現しただけである』と。

 時代を超越するということは、結果的に未来を予測するということである。
 シデルは空の彼方から、いまの惑星ベルデセルバをどのように見ているのだろうか?


 #6   結末


 歴史には解けた謎と、解けない謎がある。
 ベルデセルバ史において、解けない謎とは、ギダン王の急速な和平派転向であった。
 あれほどまでに好戦的なギダン国王が、一体だれの説得を受けたら、あのように突如、和平の道を模索するようになったのか?
 そのおかげでシデルはクーデターを決行せざる得なかった。
 彼のつまずきは、このギダン王の転向によってもたらされたのである。
 結果、シデルは自分の理想を果たすこともなく、歴史の一ページに名を残すだけとなった。
 これほどまでに重要な王と和平派の謁見であるが、歴史はその全貌を明らかにしていない。
 一応、公式な文章には、和平派の中心人物、ガシザキノ中佐の名が挙げられている。
 しかし、生粋の軍人であったガシザキノ中佐が唱える和平論に、やすやすと感化されるほど、ギダン国王も単純ではなかろうとするのが、史家の一致した見解だった。
 結局、この問題は根本的な解決を見ることもなく、今日まで棚上げされてきた。
 真の賢者は歴史に名を残すことなく、ただ消え去ったというのだ。おかしな話である。
 他方、解決した問題というのは、しごく単純なことであった。
 なぜ、四世紀以上も他星系と交信のなかった惑星ベルデセルバのメッセージが、あまりにも明瞭な宇宙共通語で記されているのかといった疑問である。これについては、メッセージの編纂作業を監修した人物が実は若き頃、宇宙船の故障により、惑星ベルデセルバへ不時着した異星人であるとのことだった。ついでに、この計画を立案したのも、同じ人物であるらしい。
 長い研究期間を経て、同盟の学者たちが下した結論は、現在、惑星ベルデセルバは動乱の時代を終わり、民族の融和が十分に促進された安定期に入っているというものだった。
 この答えを受け、同盟首脳部は惑星ベルデセルバに公式な返礼をするとともに、新たな国交を樹立する旨を決議した。



                                   了

*1:既に閉鎖されたサイト「白久鮎の館」というサイトに帽子屋hat氏が投稿されていた「オルダナスピ動乱記」を無断で丸ごと転載。(ただし「パスク・ノイパスカーナ」だけは「パックス」に変更。)白久さんか帽子屋さんが削除要求をしてくるまで置いておきます。

*2:詳細不明:当時googleで検索しても「帽子屋hat」名で発言している人は見つからなかった。