ベルデセルバ戦記でブログ

プレイステーションソフト「ベルデセルバ戦記~翼の勲章~」 にこだわるブログです。(略称【ベル戦ブログ】)

八ヶ岳はいつから「ヤツガタケ」か?

 誰も興味を持っていないのか、八ヶ岳がいつから「ヤツガタケ」と呼ばれていたのか論じている人がネット上で見当たらない。
 或は、遥かな太古からずっとヤツガタケだったのかも知れないが、富士山だってなぜか「浅間(あさま)神社」があったりして、いつから「フジ」と呼ばれていたかはっきり分からない(つまり太古の昔はアサマと呼ばれていた可能性がある)訳だし、八ヶ岳だって太古の昔は別の名前で呼ばれていたのではないだろうか?(一番高いのは近隣の火山同様にアサマと呼ばれていた可能性だ。なお、超余談だがフジはふもとの町の名を取って付けられた名であるという解説が古い歴史資料にある。どれだか忘れたが。あの近辺ではフジというのは斜面を表す言葉らしいので(自分たちの村を)フジ(斜面)村(と名付ける)→(よそから来た人が)フジの村の山(と呼ぶ)→フジヤマという説は有りなんじゃないかと思う。)
 なんで『ヤツガタケには古名が有るのでは?と』思うようになったのかというと

宗像教授異考録 第4集 (ビッグコミックススペシャル)

宗像教授異考録 第4集 (ビッグコミックススペシャル)

 この漫画を読んでから。(なんでアマゾンには4巻しか無いんじゃーい。)特に、こちらのブログで触れられているように、八ヶ岳の地下には無傷の縄文土器がゴロゴロ埋まっているという話が出ていて、成る程と思った物だった。そしてなぜイザナミノミコトが黄泉の国の女神であると同時に八つの雷神と火神を生み出したとされるのか、に符合がゆくという話が出ていたのだ。
 つまりイザナミは火山の神であり、人を死に追いやると同時に国(というか土地とか島)を生み出す神であり、噴火により火を、噴煙により激しい雷雲を呼ぶ神なのだ。
 また、日本人は文字の無い時代であっても、この噴火の事を土器の形として残していたと考えられる、という話にも感心させられた。
 まあ、これらは考古学からすると常識なのかも知れないが、我々一般人からすると全くマニアックな話な訳で、こういう事を(明らかな嘘を混ぜながらもw)ドラマチックに描いて分かり易く紹介してくれる星野さんにはいつも感謝しております。
 で、同じ宗像教授シリーズで、イザナギイザナミの源イメージとして描かれていたのが鯨。クジラの古名は勇魚(イサナ)であり、イザナミイザナギはこのクジラのつがいをイメージしているのだ、という説が紹介されている。おいおい、さっきの八ヶ岳の話と矛盾してないか?と思ったが、矛盾しない方法が一つあった。
 上記の宗像教授の漫画によると(この辺うろ覚え。別の本だったかも知れない。)太古にはイザナミ信仰が有ったらしい。それを覆いつぶす為にイザナミを黄泉の国に沈めたのだ、というのだ。
 いや、それは違うのではないだろうか?もしもイザナギイザナミが海洋民族の神であったならば倒すべき相手はイザナミ信仰ではなく古ヤツガタケ信仰であったのではないか?ヤツガタケの古名(例えばアサマ)を消す為にヤツガタケを連想させる神話である八雷神と火神を産むエピソードを火山神ではなく海洋神であるイザナミに入れ替えてしまい、東国の人々のアサマ信仰を消すかもしくは取込もうとしたのではないだろうか?
 ただし、どうもそれも違う様な気がする。なぜなら、例えば諏訪神社の主神は大和朝廷が書いた古事記日本書紀に書かれたシナリオでは諏訪方が建御名方の命に屈服して入れ替わっている形になっているし、神社でもそう表示されているが、実際に祭られている建御名方の命の社の小さい事小さい事(笑)。現在まで諏訪の人々は建御名方の命など目もくれず土着神を篤く祭っていたらしいのだ。
 つまり信濃とはこういう土地柄なのだ。大和朝廷が奥州を征服した後も、信濃はまだ手つかずで残されていたのだ。日本のほぼ全土は海辺伝いに行けるが、信濃は違う。京都から一番交通の便が悪く、なかなか中央の目が届かない土地なのだ。(これも余談だが、百済や高麗が滅亡した時亡命してきた流民を信濃に住まわせたという記録がある。つまり信濃は土地が痩せていて住み辛く、なかなか人が入って行かないくらい土地が余っていた土地だという事なのだ。埼玉にも高麗川という駅(八高線:八王子ー高崎間)があるが、この近辺は以前は高麗郡と言って高句麗人が住んでいた。「716年、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高句麗の遺民1799人を武蔵国に移したことにより高麗郡として設置されたのが最初である。(Wikipedia)」大体こういう場所は土地が痩せている場合が多い。良い場所は自分たちのが既に確保しているから当然だ。昔北海道を開拓する時に囚人を使ったのと似た様な手だ。)
 つまり何がいいたいのかというと、信濃においてそうそう昔の信仰は無くならないという事だ。もし古ヤツガタケ信仰なるものがあったとしたならばそれらしい信仰の痕跡が現在まで伝承されていてもおかしくないのが信濃という土地なのである。しかし例えば諏訪大社に残されていたのは強烈な生け贄の儀式を要求するモリヤ信仰の他、ミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神など。肝心の八ヶ岳本体はなぜか意識の外にあるようだ。まあ、老人の中には毎朝拝んでる人も居るようですけど。
 だからもしかしたら、もともとヤツガタケ信仰なんて無かったんじゃないかってこと。まあ、宗像教授シリーズの漫画のように古ヤツガタケ周辺の縄文人が全滅してしまったなら話は別だけどね。
 で、ホントに昔からあの山々は「ヤツガタケ」って呼ばれてたんですかねぇ?そもそも”歴史資料のいついつから「八ヶ岳」という名が現れた”という資料すらなかなか検索でヒットしないのがもどかしい。