ベルデセルバ戦記でブログ

プレイステーションソフト「ベルデセルバ戦記~翼の勲章~」 にこだわるブログです。(略称【ベル戦ブログ】)

小説「我が屍は野に捨てよ」

 発表は月刊新潮2002年5月号(一挙掲載)

わが屍は野に捨てよ―一遍遊行 (新潮文庫)

わが屍は野に捨てよ―一遍遊行 (新潮文庫)

 これも母が読んでいる本で、私は十行程度しか読んでおらず、母の口から断片的に筋を聞かされているだけなのだがこれは一般人にはお勧め出来ない本だ。まず小説内で使われている仏教用語を理解する事が出来ないだろう。使われている用語は仏教の基礎知識がある者ならば簡単に分かるものばかりなのだが、私の母のように大学卒業後すぐ結婚して東京に出てきたような一般人には到底理解出来ない用語が山盛りでなのである。よって仏教徒向けの小説である。(ここで言う一般人とは「仏教に接するのは葬式だけ」という都市生活者の事である。田舎では現在でもお盆などでお坊さんが読経・説教してゆくようで、ある程度の仏教知識はあるようですが、都市の核家族では法事や葬式すら経験していない人が多い。)
 ただ、小説にも紙数の制限というものがあり、その枠内に物語を収めるためには仏教の教理・用語を一から説き起こすような余地は無いという事情もあり、宗教小説・学術小説(SF含む)の難しさを改めて感じさせられる。
 まあ宗教的な問答や思索の部分は理解出来ずとも、一遍の生涯や物語部分は平易に書かれているのである程度の教養のある方ならダイジェスト版の感覚でお読み頂けるだろう。
 私は栗田勇の「一遍上人」(新潮文庫
一遍上人―旅の思索者 (新潮文庫)

一遍上人―旅の思索者 (新潮文庫)

を読んだ訳ではないし一遍研究に詳しい訳でもないが、こちらのブログ(分け入つても分け入つても本の山)の解説を信じるならば、「我が屍〜」はまさに栗田勇の研究を小説化したものと言えそうだ。ほぼ全て栗田氏の解釈通りのようであるが、独自の部分もあった。念仏踊りの発祥の場面などもその一つで、栗田氏は念仏踊りの開始を鎌倉の地としているが、佐江氏の小説内では歴史的通説に準じて信州(長野県)で始まったとしている。私も佐江氏の記述を支持したい。

 ところでたまげたのは
 (1)ウド鈴木主演で映画「一遍上人」(公式ホームページ)が今年公開されていることだ。ウドさん今こういう仕事してるんだ。まあコメディアンも頭が良くないと一流には成れないことくらい分かってるので別段不思議だとは思っていない。

よく分からないが自主制作映画らしい。配信映画館も少ないし(当たり前だ。今時一遍上人の事に興味を持って映画を見に行こうという人はそうそう居ない。)秋原北胤監督のブログでガイドブックの通販?の「最後の出荷」の様子が出ていたり、有名俳優が居なかったりするあたり、やはり自費制作(だからといって商業的な利益を全く見込んでいないとは言えないのは言うまでもない。自費出版の書籍とは違うのよ?)の映画なのだろう。主演をウド鈴木さんにしたのは(映画見てないからこれは想像だが)一遍の愚直さをボケ役のウドさんのイメージで表現したかったからではないか?なんて考えたりしている。

(2)そしてこの映画のホームページで、現在夏に日本全国で踊られている盆踊りの起源が一遍の念仏踊り(正確には空也念仏踊り。広めたのが一遍。)である事を知って二度たまげた。

 盆踊りとは元々は仏教行事である。平安時代空也上人によって始められた念仏踊りが、盂蘭盆の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するための行事として定着していった。鎌倉時代には一遍上人が全国に広めた(Wikipedia)
※なお、紛らわしいが、

念仏踊りは、踊り手と歌い手が分かれているもので、自ら念仏を唱えながらおどる踊念仏とは区別される。(Wikipedia)

 念仏踊りを広めつつ踊念仏の開祖でもあるとは!ややこしすぎるぜ一遍先生!

 しかし俺としたことが!盆になぜおどりを踊りるのか考えた事も無かったぜ!!