日本にもハロウィンがあった。
と言ってもここ10年のハロウィンブームよりも前から10月31日にお祝いしていたと言う意味ではない。
- 作者: 柳田国男
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 1960/07/10
- メディア: 文庫
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48頁から抜粋
鹿児島県の一部などではこの棒*1をダシヤレ棒ともいっている。大歳*2、または十四日の年越し*3の晩に、家々の門に来てこれを振り回し、ダシヤレダシヤレ、またはハラーメダーセすなわち孕み女を出せとわめくのである。現在*4はたいていお菓子や餅を与えて返すだけだが、堅い家では表口に俵を並べその上に花嫁を座らせて、尻を打つまねをしてもらう土地も他県にはあり、または子のないのを嘆く女が、所望して打ってもらうという例さえまれにはあった。
【中略】
むろんこういう行事は戯れになりやすく、こどもはまたけっしていたずらが嫌いではない。だから中央部がはじめで、次第に今日の公認せられたいたずらとなったのである。
という行事があったそうな。案外ハロウィンも始めはこんな感じだったのではないか?なお、古今東西に通じていた柳田がハロウィンを知っていてもおかしくはないと思うが、当時日本ではハロウィンなど全く知られていなかったから柳田も引き合いに出すことは無かったのだろう。
後日追記
「トリック・オア・トリート (Trick or Treat) 」の習慣は、クリスマスの時期の酒宴(古い英語で wassailing と呼ばれる)の習慣に似た、soulingと呼ばれるヨーロッパの習慣から発展したと思われる。11月2日の死者の日に、キリスト教徒は「魂のケーキ (soul cake) [1]」を乞いながら、村から村へと歩いた。物乞いをするときには、亡くなった親類の霊魂の天国への道を助けるためのお祈りをすると約束した。魂のケーキの分配は、サウィン祭のとき徘徊する幽霊に食べ物とワインを残す古代の風習に代わるものとして、キリスト教会によって奨励された。
(ウィキペディアより)