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プレイステーションソフト「ベルデセルバ戦記~翼の勲章~」 にこだわるブログです。(略称【ベル戦ブログ】)

【おやこ新聞 養老先生のさかさま人間学】「困らない」を疑え



 結論:養老孟司氏は結論を言わない。
 バカの壁を読んでも、NHKの特集番組を観ても思ったが、彼は結論を言わない。そして結論に至る最終的な論理も解説しない。途中まで語って終わり。彼としては「後はわかるでしょ?」という積もりなんだろうが、それが出来れば世の中にこれほどアホが横行してはいないのである。
 それは森を抜ける道を途中まで教えて、ほら外が見えるでしょ?後は大丈夫だよね?といって姿をくらますガイドと同じである。素人はどうやってみっしり生えた茂みを越えればいいのか分からず途方に暮れるしかない。あるいは無理やり突っ切ろうとする(言葉面だけ受け取って勘違い)か。
 彼は大学で人に教えていたハズなのだがこの調子では、きっと学生の受けは良くなかっただろう。
 【おやこ新聞 養老先生のさかさま人間学】「困らない」を疑え
【おやこ新聞 養老先生のさかさま人間学】「困らない」を疑え(どんぐり倶楽部オンライン・記事データベース)
 ここはまだマシな方で、結論としては「困らないを疑え」ということは題名を見ればなんとか分かる。しかしこの結論は本文を読んだだけでは実はハッキリとは分からないのだ。
 最後に

みなさんはどうでしょうか。パンがないならケーキでいい。魚や鳥や虫がいなくなっても、人間がいればいいじゃないか。本音ではそう思っていませんか。

 と言っていて、まっとうに解釈すれば「本音はそうだろうけど、それでは駄目だよ」と言いたいのだろうと予測できるが、そこまでに至るまでに「なぜだめなのか」の論理を全く展開していない。それどころか途中で

そんなもの、いなくなっても、だれも困らないんじゃないか。じつはそうなんです。みんながどこかでそう思っているから、結局はいなくなるんですよね。

という非常に危険な発言をしている。(赤字はブログ主が着色)趣旨を誤解(『困らないからいなくなってもいいよ』)されかねない発言である。
こんな発言が途中に挟まれているので、余計に非常にスッキリしないラストなのである。
 特にこの記事は子供向けであり、一般人向けよりも一層分かりやすく書かねばならないのにこのありさま(というかいつも通り)ということは、もしかしたら養老先生は国語の基本がなっていないのではないかと疑いたくなる。
 本の「バカの壁」も結局『バカの壁とは何か』について記述しておらず、読んで「時間を無駄にした」と思わされた。
 こんな人を持ち上げる今の出版業界の国語力の低さに涙が出てくる。というか編集者はちゃんと目を通したのか?


追記:
 マリー・アントワネットが「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったという話はよく知られているが、彼女が言ったという事実は確認されていない。「言ったという噂」すら当時有ったという証拠も無い。ただし

アルフォンス・カーは、1843年に出版した『悪女たち』の中で、執筆の際にはこの発言は既にマリー・アントワネットのものとして流布していたが、1760年出版のある本に「トスカーナ大公国の公爵夫人」のものとして紹介されている、と書いている。(しかも)実際はこれは彼女を妬んだ他の貴族達の作り話

だそうな(Wikipedia調べ)。

トスカーナは1760年当時、マリー・アントワネットの父であるフランツ・シュテファンが所有しており、その後もハプスブルク家に受け継がれたことから、こじつけの理由の一端になった、ともされる。

ですって。