ベルデセルバ戦記でブログ

プレイステーションソフト「ベルデセルバ戦記~翼の勲章~」 にこだわるブログです。(略称【ベル戦ブログ】)

尖閣衝突ビデオ流出犯の減刑嘆願は国を滅ぼす



 たとえ動機が愛国的でも、結果・成果が愛国的であっても政府・国家の構成員が上層部の意思に逆らった事を許しては駄目だ。
 有名な話では5・15事件(1932年)での助命嘆願運動がその後の2・26事件を後押ししたとも言われ、国を思った行為ならばテロリズムすら許されるという世論や雰囲気がその後の軍部の専横を許したと言われる。まあ、そもそも満州事変(1931年)のように関東軍の独断専行を許してしまっているのでこれだけが直接的原因とは言えないが。
 しかし、ここで言いたいのは5・15事件の歴史的意義ではない。
 戦争のような武力行使は外交の中でも下の手段なのだが、軍部はやたらとコレを使いたがる。なぜなら軍隊は国の利益のために命と弾薬を投げ打つ訓練しているので、「武力で利益・正義が確保できるんだから使うべきだ」と考えてしまうのだ。使われなかったら自己の存在意義が証明できないし(実際は軍事力というものは存在するだけでかなり色々な効果があるのだが)。おまけに軍事行動は大量消費を生む公共事業なので結果の如何を問わずありがたがる団体がおり、開戦をバックアップする。
 しかしそんな集団に国家運営を仕切らせたら国が滅ぶのは70年前に体験した通りだ。確かに使える手段があるなら使うべきだが、軍事とは博打に近い行動だ。天の時、地の利、人の和が関わり、そして何しろ相手のあるゲームだ。ミッドウェー海戦の例にも見られるように、うまく行けば大勝利だが、失敗すれば大敗北である。(そもそも絶大なる工業力を有した米国を相手にしながらハワイ島奇襲直後に終戦に持っていけなかった時点でアウトなのだが。)また、イラク軍を軽々と圧倒したアメリカ軍が、なかなか撤退出来ずにいるのを見ても軍事行動の始末の付け方の難しさが分かる。


 助けられたからと言って、ばくち打ちに一家の運営を全て預ける家主は愚か者である。

 今儲けているからと言ってばくち打ちに一家の財産を全て預ける家主は愚か者である。
 ばくち打ちを使うなと言ってるのではない。長い人生、緊急事態は必ず有るし、理不尽な攻撃だって必ず有る。要は使いたい時だけ頼り、それ以外では勝手は許さないようにするのだ。そうしなければ暴力を持つ者はたやすく勘違いする。「俺が正しい」「俺が偉い」「俺についてこい」と。
 つまりシビリアンコントロールをちゃんとしておけ、という事だ。


 今回流出を犯した者は軍人ではないが、これを許したら次は軍人(つまり自衛官)が愛国的逸脱を起すだろう。例えそれがその時点で国家・国民に利益をもたらしたとしても、その次がそうだとは限らない。そして更にその次は個人的利益の為に逸脱を起すだろう。愛国の美名の下で。


 そもそも逸脱があろうと無かろうと、公共事業とは常にそうしたものだった。それは戦争だけでなく、道路建設や箱物事業でもそうだ。大勢の人々の利益の為に始められた事業が、利権まみれになって暴走する有り様を我々はうんざりするほど見てきたハズではないか?
 「命を賭ける」という性質上、美化されやすい戦争が利権まみれになり暴走する有り様を、我々は手痛いしっぺ返しと共にこの身に刻んだハズではないか?


 コレくらいで何を大げさなと言われるかもしれないが、一事が万事という言葉もある。


 私は「尖閣衝突ビデオ流出犯の減刑嘆願は国を滅ぼす」と思う。減刑嘆願には反対である。


 ※なになに?「そもそも政府がビデオを早期に公開すべきだった。政府が悪いのであって、犯人は悪くない」だって?前半は同意するが、後半は反対。悪法も法なり