ベルデセルバ戦記でブログ

プレイステーションソフト「ベルデセルバ戦記~翼の勲章~」 にこだわるブログです。(略称【ベル戦ブログ】)

「ntcr」エピローグの解釈

また東方(ゲーム)の話である。


D
 ついにニトチル(以後ntcrと書く)完結。
 まゆげさんお疲れ様。そしてありがとう。
 イイ涙を何ccも流したよ。


 さて、ラストになっても核心を描かない事に定評のあるまゆげさんの動画だが、それは別に良い。視聴者に想像の余地を残し、末永くその世界を楽しませる「余韻」を持たせる仕掛けは上質の物語には欠かせないものだ。
 しかしだからこそ一視聴者としては残された謎を解き明かしたいと願うし、「謎を解いた!」と思ったら誰かに話したいものだ。
 そういう訳でこの下にはntcrのエピローグの私なりの解釈をつづる。皆さんの想像の余地を奪うものだし激しくネタバレでもあるので初見の人やntcrの物語を未消化の人は見ないほうが良いですよ。


以下ネタバレ。


「ntcr」考察目次ページ












ここで考察するの次の事だ。
●チルノは大妖精になったのか?
 私の結論は「否」。その根拠は、
・エピローグでみとりが地上に出てきた時に迎えに来たのが雛・にとり・慧音だけだった。
 そうチルノがいないのだ。三人を見た後のみとりの表情はその事への感慨を表しているのだろう。もしチルノが、時が経ち自然な流れで大妖精になったのだとしても、みとりを覚えているために大ちゃんを犠牲にしてまでも大妖精になったのだとしても、迎えに来ないはずがないからだ。
 つまりチルノは今みとりのことを覚えていないのだろう。覚えているのだとしたらにとりでも雛でもまたは紫でさえも必ず迎えに誘うはずである。それをしなかった、もしくは誘ってもチルノが来なかったのだからそういうことなのだ。


・動画の4分頃の若いままの魔理沙を見る限り前回の動画からさほど時間が経っていないようだ。また、エピローグの最後出てきたメガネもそれほど汚れてもいないし古びてもいない。動画の最後まで「十数年後」などという時の流れは無いものと見える。
 ということは大妖精の(不可避的な)交代が起こった可能性はかなり低い。


・BGM「NICO Touches the Walls/トマト」の歌詞が重大な暗示になっている。
 けっして歌詞にトマトが入ってるからだけでこの曲が選ばれた訳ではないだろう。みとりは動画の最後でにとりに手を引かれチルノの元に行った。これはみとりがチルノに会うことへのためらいが有ったことを意味する。そしてその直前、みとりがベランダのトマトの傍らに佇んでいた時、

春の日差しは思ってたよりもブルー
君はもういないのに
強がって
はにかんで
笑って

という歌詞が流れた。曲に合わせてシーンを描くというまゆげさんが何の計算もなくこの位置にこのシーンを置くはずがない。これが答えなのだ。
 みとりを慕ったあの日のチルノはもういないのだ。


・そもそもあのチルノが誰かを、いや大切な家族を犠牲にしてまで自分の想いを通そうとするだろうか?
 そんな事、出来はしないだろう。


 そこで次の事を考える。
●大妖精にならなかったチルノと周りのみんなはその後どうしたか?
 きっとあの後チルノは大妖精にはならず、みとりに謝って、にとりにもフランにも他のみんなにも謝って、これからみんなの事を忘れてしまう事を謝って回っただろう。みとりはそれを、自分を忘れてしまう事を受け入れるだろう。
 なぜならこの問題への対処法は前回の動画で既に示されているからだ。

フランドール:
私だけ、しょげてらんないっ・・・ていうか・・・
また忘れられてしまっても、今度は笑って友達だって言えるような・・・
・・・そういう強さを貰った気がするの

 この言葉が物語の中に置かれている事そのものがこの物語のラストを暗示しているのだと思う。
 そして、この言葉は我々視聴者に残された希望なのだ。
 たとえチルノが大妖精にならずみとりの事を忘れたとしても彼女たちは再び出会い、笑いあえる友として、親愛を育む姉妹としての時間を取り戻すだろう。何度でも(いかん泣けてきた)。
 なぜなら「トマト」の歌詞の最後は

ためらわずに 君は君
世界にひとつの真っ赤なトマトになる
か弱い命に 僕がずっと水をやる 明日も明後日も
僕はきっと同じこと考えるんだろうな
死が二人を引き離しても 想いは果てぬ理由

だからだ。ここでの「トマト」には「チルノの中のみとりの記憶」を仮託しているのだろう。そうすると二行目の解釈だけがおかしくなるが、それを無視すれば次のような意味にとれるのだ(少々苦しいが)。


会うことをためらわないで。 チルノはチルノだから。
か弱いチルノの記憶に、みとりは水をやり続ける。明日も明後日も。
みとりはきっと考えるだろう。
記憶の死が二人を引き離しても 想いが果てぬ理由を。


 それにこれはそれほど絶望的な話ではない。
 みとりが生きている間に(自然な流れで)大妖精の交代が起これば、チルノは記憶を固定させることができるのだから。その代り、次の交代までの限りある命になってしまうが、なに、みとりだって河童の限りある生を生きているのだ。何の問題もない。


 希望はまだある。
 一度はフランを攻撃したことを忘れたチルノだったが、後で思い出せていた。一度忘れてしまっても再びみとりの事を思い出す可能性は有るのだ。チルノとみとり達の記憶に深く関わるアイテムがそれを助けてくれるだろう。例えば第一期の大沖チルノ、緑のリボン、そしてエピローグのラストで帰還したにとりのメガネが3人の絆を繋いでくれることだろう。
 「にとちるはずっとともだち」なのだから。