まず、現代に残されている演目を見るだけでも、江戸期の歌舞伎が伝統芸能ではなく当時流行っていたモノを貪欲に取り込んだミーハー精神あふれる世界だったことがわかる。
有名な近松門左衛門の心中モノ「国性爺合戦」「心中天網島」はもともと人形浄瑠璃として作られたが、超大ヒットしたので歌舞伎に移されている。(ただし「女殺油地獄」は明治42年「曾根崎心中」は昭和28年に歌舞伎化)
また、これも大ヒットした超長編伝奇小説「南総里見八犬伝(滝沢馬琴)」は今で言えばドラゴンボールかワンピースみたいな小説なのだが(小説というなら十二国記とか創竜伝かも。かなり無茶な例えなのは承知の介。)、これの名場面がさっそく歌舞伎化されている。(宝塚で言えば「ベルサイユのバラ」みたいなものだ。)
また、当時の重大事件を即座に取り入れて演目とするというワイドショー的な演目も多く、上記の心中物もそうだし、忠臣蔵物も(違う時代という設定だが)すぐに上演された。
演出技術も当時の最高技術をふんだんに取り入れており、現代ならCGやイリュージョンに相当する特殊効果(ケレンと言われ、早変わり、人体消失、回り舞台、セリ、宙乗り、水芸)が人々の目を楽しませ・驚かせた。
しかしそのケレンが
演劇として本来あるべき演出ではない、などであった。このような批判を受けて、明治時代から、演劇改良運動と呼ばれる歌舞伎様式の改良運動が進められた(ウィキペディア「歌舞伎」より)
ので大衆芸能から離れ=本来の歌舞伎から離れ、”死ぬ”ことになってしまったのだろう。(この辺の話はモーニング連載のかぶく者(もん)にも書かれている。)今我々が見ている歌舞伎は真の歌舞伎ではなくその残りカスである。
もし歌舞伎に命を吹き込みたいなら、水戸黄門や銭形平次や暴れん坊将軍や必殺仕事人を演目に加えるべきだし、プロジェクトXや真珠夫人やドリフのコントや101回目のプロポーズも上演するべきだ。タマちゃん騒動やライブドア事件や同時多発テロや湾岸戦争や毒入りカレー事件も取り上げるべきだ。