ベルデセルバ戦記でブログ

プレイステーションソフト「ベルデセルバ戦記~翼の勲章~」 にこだわるブログです。(略称【ベル戦ブログ】)

映画「はやぶさ」観てきました

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公開初日にいそいそと観に行きましたよ。
簡単に感想をまとめると、
「面白かった!・・・が、今ひとつ」
物足りないのだ。司令所とか実験室の様子とかを見れて嬉しかったし、臼田とのやりとりとかコマンド送信のやり方を見れたのは非常に楽しかった。なによりはやぶさのCGが非常に綺麗で、感動的だった。こればかりは圧倒的で、MMDの追随を許さないハイクォリティ(当たり前だがw)。これを観るためにもう一回観たいと思わせる出来でした。しかしドラマ部分がなんとも言い難い。
 思い返してみるとはやぶさの健気さとかそういうもの、つまり擬人化成分が圧倒的に足りない。この映画の主役ははやぶさではなく地上スタッフだからだ。しかもメインで映っているのは「水沢」という架空の女性スタッフ。宇宙について熱い思いを抱いていて勉強熱心なのはいいがアスペルガー気味(他人の顔を正視できない)で挙動が大げさ。私もアスペルガーだが見ていて感情移入できない。(むしろ同族嫌悪なのか?)
 ピンチに次ぐピンチをなんとか克服してゆく筋立てはいいのだが、何か足らん。考えると、最後の感動に向かってゆく過程で説明不足なのではないか?と思った。
 特に川淵PM(映画の中での名前。もちろん川口PMのこと)が運用室のポットにお湯を足すシーンとかは、事前に本を読んで話を知ってる人でないと意味が分からないだろう。あと川淵PMがはやぶさの最期に涙するところも、彼がどれだけはやぶさに感情移入していたかを語らせないとイマイチ分からない。直前に「はやぶさ君に地球を見せてあげよう」と指示を出したときに、他のスタッフに「今『はやぶさ君』って言ってたよね」とか言わせてもあまり効果はないと思う。
 私の代案は「なんとかはやぶさを大気圏突入させない方法はないか?」と川淵PMが突然言い出すシーンを付け加えることだ。その直前に必死に軌道計算に取り組む彼の姿を映し、言い出した後でスタッフに『無理だってことは川淵さんが誰よりも分かってるハズなのに・・・』と語らせるのだ。こうすれば彼がはやぶさに対して理屈では割り切れない感情を抱いていることが伝わってくるはずだ。(実際にあったエピソードだし良いのではないか)
 そして水沢の成長物語をばっさりカットすること。私はこの映画をドキュメンタリーのつもりで見てるんだから架空の人物の成長なんてどうでもよろしい。彼女を映す時間が無くなればもっと実在のスタッフを映す時間が増え、彼らの心の動きを描写出来るはずだ。


 映画と同じくはやぶさではなく地上スタッフの凄さに焦点を置いたニコニコ動画
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の方が感動できるのはなぜだろうか?これもはやぶさを擬人化していないのだ(乗り込んで操縦しているがw)。
 宇宙戦艦ヤマトのピンチに次ぐピンチのストーリーとあふれる使命感のイメージが手伝っていることは間違いない。しかしはやぶさが満身創痍のギリギリの体を酷使してその使命を果たしたことが事実だからこそ、ヤマトのイメージと共鳴してその健気さがこちらに伝わってくるのだと思う。


 一方映画では、地上スタッフの頑張りを通して「終わりの見えない・生きている内にはたどり着けない目標に向かって走り続ける科学者たち」をテーマとしている。こうなると、はやぶさは脇役だ。
 はやぶさ帰還の後日、水沢が念願の理学博士になったことが示されるがそんなもの実にどうでもいい。しかも彼女が講演の最後に「宇宙の進化の果てに私たちがいるので誰が大事で誰が要らないとかそういうことは言えない。命の大切さを知りました」などとこれまでの流れと全く関係ない結論を語るという「脚本家出てきて土下座しろ」と言いたくなるラストで、はやぶさの感動は薄れてしまった。
 結局この映画は、はやぶさを擬人化(もしくは登場人物がはやぶさを擬人化して捉える)して「健気さ」とか「使命感」を伝える気は無かった。そこが私にとってイマイチだった理由なのだろう。


 最後に。はやぶさ帰還前のJAXA公式DVDの動画である。
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 この動画ははやぶさを擬人化しているが、健気さとか使命感とかは強調されていない。ただはやぶさという探査機の旅がJAZZの調べに載せて全編フルCGで紹介されているだけである。しかしスタッフロールの時に下段に表示される緑色のコメントで、はやぶさの旅の過酷さと健気さが我々に伝わってくる。これもなかなか感動モノの動画である。


 こういう動画ばかり見てきたために映画にもその手の感動を求めてしまったのかもしれない。一般の方、つまりニコニコ動画など見ていない人たちの感想はどうなのだろうか?