【土肥氏会見詳報】(2)
長々と会見のセリフが続く中で
「で、『サンジャコウ』に行って終戦だ。今度は孤児同然のような格好で、子ども3人、親2人、両親と日本に引き揚げてきた。で、6年間、朝鮮のトンデモン(東大門)におり、数カ月、トンデモン小学校の小学生(としての生活)を送った。それでもやっぱり、『この社会はこれでいいのかな』という漠たる不安をもっていた。たとえば、交番に韓国人、朝鮮人の警官がいて、韓国人の泥棒を捕まえては罰しているという姿をみるにつけ、学校は全部、日本語だから、当然のように日本語を使って、同じ1年生の子供がついうっかり朝鮮語を話すと、朝鮮人の先生がその子をぶんなぐる光景もみてきた
と言っている訳だが何が悪かったのか良く分からない。
警官が泥棒を捕まえて罰するのに何人も無いもんだろう。むしろアメリカ南部の白人警官が黒人をなぶるのを見ると、同じ民族同士でやった方が冤罪ややり過ぎとかも無くて良いと思う。どんな社会でも必ず泥棒はおり、必ず取り締まらなければならないのだから。
教師が生徒をぶんなぐるのも当時はどこでも良く見られたもので、中国でも日本でも戦後しばらくまではそんな感じだった。これもやはり同じ民族同士の方が手加減も出来るし、民族要素が入らないから子供が間違った方向に鬱屈することもないだろう。朝鮮語を禁じられたのは確かにひどい話だが。
そもそもキリスト教の集会(日韓友好目的とはいえ)で「竹島放棄」*1のような激しく政治的かつキリスト教と何の関係も無い宣言を出すという発想が良く分からない。その『3・1集会』はまともな団体なのだろうか?